オタクが歩く四国

四国八十八ヶ所歩いた記録です。構築中。

6日目(2/9) ふれあいの里さかもと~山茶花

焼山寺に続く試練の日。
朝食は06:30からで、送迎利用の人は07:00出発とのこと。
主食がおかゆとは、これから歩く体のことを考えてくれているすごくありがたいものでした。
それだけでは足りなくてご飯おかわりしてしまいましたが、それほどおいしいごはんだったのは確かです。

送迎車に合わせてこちらも出発。
勝浦川までは昨日きた道をひたすら引き返します。

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昨日はスルーしてしまいましたが、勝浦川に架かる橋のあたりはかつて高瀬舟の発着する、川の港だったのだといいます。
川のおかげで発展した町だったようです。

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川を渡ったところからは案内の看板に従って少し川沿いを歩き、やがて山道へと入ります。
このルートはメインのルートではないものの、整備はちゃんとされているようでひとまず安心。

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とはいえいきなりこんな道で、難所であることを見せつけてくれます。
途中治山工事をしている様子を横目に見たりして、勝浦町を見下ろせるようなところもありながらひたすら登っていきます。

09:17、二十番札所鶴林寺に到着。

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勝浦川を渡ったのが08:10だったので1時間少々で登ったことになります。
名前の通り鶴に縁のあるお寺で、山門の仁王像もここでは鶴の像になっています。
話には聞いていましたが実物が見られるとやはりうれしいもの。
少々ゆっくりして09:57出発、境内にある下山口から下り始めます。

これがきつかったのなんの。
階段が主体でしたが一段が高く、一歩進むたびに足に響きます。

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もう6日目、朝になる頃には歩くには問題ない程度に回復していますが、それでもダメージの蓄積を感じずにはいられません。
左足小指にマメができているのは認識していましたが、今朝までは痛みもなく、水抜きをするには小さすぎる程度だったので放置していたのがここまでで成長してしまったらしく、道中でぷちっとつぶれる感触がありました。
靴ひもをきつくしすぎてしまっていたのもあったようで、結構痛みますが山道の途中ではどうしようもありません。
どうにか下りきったところで、廃校のトイレが解放されていたので用足しし、その先にあった東屋で休ませてもらいます。
遍路道沿いには、へんろ小屋プロジェクトの産物以外にも休めるところがところどころに設置されていて、これはもうありがたい限りでした。
幾度お世話になったかわかりません。
マメのつぶれた後は痛みますが、歩けないほどではありません。

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覚悟を決めて水井橋という橋で那賀川を渡り、再び登りに入ります。

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札所まで残り2kmの地点あたりまでは水のきれいな沢沿いをゆるゆると登っていく道で、「このまま札所に着けるのかな?」などと甘い期待もしていましたが、急に山登りの風情になります。
一山越えてきている身にはなかなか堪える道で、やたらと長く感じられました。

 

どうやら尾根に出たようで、そこから山門はすぐ。
12:26、二十一番札所太龍寺に到着です。

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「西の高野」とも称される風格のあるお寺で、若かりし頃の空海が修行していたことがはっきりと残っている数少ないところだとか。
ここにはロープウェイが通っていて、車だと麓からロープウェイで上がってくるようになっています。
お寺のためにロープウェイがあるというのもなかなかすごい話。
参拝を済ませ、お楽しみの食事タイム。
ですが、何せ尾根に立っているお寺で風が吹き抜けて寒い。
初めてレインウェアを使用しました。
今日のご飯はさかもとで作ってもらったおにぎり。
有料ですがチェックインの時に必要か聞いてもらえたのはありがたいことでした。
焼山寺といい、山で食べるおにぎりというのは格別のおいしさがあります。
休憩していると野宿で回っているというお遍路さんに声をかけられました。
荷物があるせいか野宿だとスピードが出ないという言のとおり、私もここで会ったのが最初で最後でした。
無事結願できているといいのですが。
さて、ここまで山を登ってきたからには降りなければなりません。
太龍寺から次の札所へ向かう下山ルートは3通りあって、鶴林寺から登ってきたルートから分岐する車道を下るルートと、ロープウェイの山麓駅へ向かうルート、山麓駅に向かうルートから分岐して麓で車道ルートに合流するルートがあります。
ロープウェイの山麓駅へのルートは次の札所への道としてはだいぶ遠回りなうえ、危険なので単独行は避けるようにどこかにあった覚えが。
ただ、山麓駅周辺には遍路宿が数件あるようです。
車道を下るルートは途中に遍路宿があって評判も良かったようでしたが、がけ崩れに巻き込まれてそのまま廃業してしまったそうです。
坂口屋というこの宿が健在であれば、人によっては徳島から太龍寺まで1日で打てたのかもしれません。
私が行くのは3つめのルートで、古道を改修して最近通れるようになった、新しいけど古い道のようです。
このルートは私の持っている同行二人の地図(10版)では未掲載で、昨晩さかもとで存在を教えてもらいました。
ロープウェイの駅前を横切り、空海が修行したという舎心が嶽という絶壁のほうへ向かって急な上り坂を行きます。

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急ですが距離は短く、登り切ると舎心が嶽に鎮座する大師像の背後に出ます。

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ロープウェイからだと正面を拝めると聞きますが、こちらからは立ち入り禁止になっています。
「いわや道」というその古道に入ると、道幅がえらく狭かったり場所によってはロープが渡してあったりと、冒険心を満たしてくれる道。

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傾斜がゆるいので歩きやすいなと楽しみつつ歩いていましたが、終盤で一気に高度を落とす道でした。
鶴林寺とどっちが、というのも難しいほどの急な下りを下り切ると阿瀬比という集落。
今日の宿は次の札所の門前なので、引き続き遍路道を行きます。

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ここまで二つの山を越えてきましたが、この先にもう一山あり、それぞれは焼山寺ほどきつくないもののここまでの疲労も込みでなかなか激しい道です。
「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」という、阿波の三難所を評する言葉もあるのだとか。

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大根峠という峠ですが、下りのほうが長かったような気がします。
時刻はもうすぐ16時、少しずつ夕方の空になってきています。
下りきったところの遍路小屋でしばし休憩し、今日最後の歩きに。
ここから先は田園地帯の中を行きますが、足元がアスファルトなうえ日光を遮るものが一切ありません。
夏場などはしんどそうな道です。

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札所に着いたのは16:50。
納経所は17:00までなので納経帳への記帳を先にしてもらって参拝とも思ったのですが(先に参拝を済ませるのが基本です)、どうせ宿のは門前だし明日は特別急がない行程ということでそのまま宿へ。
「山茶花」という名前の宿で、建物は年季が入っていますが中はちゃんとしてます。
多くの宿では部屋にお茶のセットがありますが、ここにはその上に氷水が置いてあります。
これがとてもありがたかったです。
お風呂もゆったり、ごはんもとてもおいしいものでした。
太龍寺からの下りルート上の宿が廃業してしまったことでここが取れなかった場合の影響が大きそうですが、二十二番札所まで来ると牟岐線の新野(あらたの)駅が近いようなので列車移動で宿泊という手はありそうです。
今日の同宿者は昨日さかもとで一緒だった方々。
全員ではなく、さらに先のほうへ行った方もいます。
鶴林寺の手前で宿泊した場合、次の日はここまでというイメージでしたが、さかもとから登山口まで送ってもらうと、14時から15時ごろにはここに着くのだといいます。
確かにその時間ならもう少し進めそうですが、この先宿のある町までは結構な距離があるのでどうするのか、疑問ではあります。
聞いてみたいところでしたがここと明日のゆっくりな行程で完全に引き離されたらしく、これ以降お会いすることはできませんでした。