オタクが歩く四国

四国八十八ヶ所歩いた記録です。構築中。

24日目(2/27) オオズプラザホテル~ガーデンタイム(前編)

40kmオーバー連続期間の最終日。
昨日からさらに難易度が上がり峠を二つ越えるというハードな日です。
宿は44番札所近く、久万高原町の町中にとっています。
当初の計画では歩くだけの日だったのですが、鶴の家旅館で出会ったお遍路さんが言うには44番、45番を打って46番門前の宿までを一日で行くのはかなり厳しいということだったので、今日のうちに44番を打ってしまいたいということになりました。
そこで今日は出発を早め、6:15には宿を出ることに。
空は白んできているもののまだ暗いです。
まったく余談ですが、帰ってから水曜どうでしょうの四国八十八箇所ⅡのDVDを見ました。
3日目出発の時の構図がどうもこのホテルからのように見えます。
実際のところは調べてみてもわかりませんでしたが。
宿を出てすぐ、松山自動車道の大洲インターそばを通ります。
その先にある小さな橋が、今日最初の見どころ。

f:id:j_imu:20160703123409j:plain

以前にも少し触れましたが「遍路は橋の上で杖をついてはいけない」という習わしがあります。
これは、弘法大師が四国を回っているとき、ある町で夜露をしのげるところを借りることができずやむなく橋の下で一夜を過ごすことになったとき、あまりの寒さに一夜が十夜にも感じられたという伝説にちなむもので、橋の下で休んでいるかもしれないお大師様を起こしてはいけないということからできたものです。
弘法大師が休んだ橋を伝説にちなんで「十夜が橋(とよがはし)」といい、今歩いているこの橋こそがその十夜が橋(写真奥)なのです。
国道の通る橋の下には、横になって休む弘法大師の像があり、布団が掛けられています。
この橋のそばにある永徳寺は別格二十霊場の八番札所になっています。

f:id:j_imu:20160703123552j:plain

次の新谷という町はかの松本零士が子供時代に疎開した場所だといい、その縁らしくイラストの看板が大きく飾ってあります。
その先でJR内子線の線路をオーバークロス。

f:id:j_imu:20160703123644j:plain

その内子線に沿って歩きながらやがて道は登り基調になり7:28、内子町に入りました。

f:id:j_imu:20160703123915j:plain

f:id:j_imu:20160703123927j:plain

五十崎(いかざき)駅のそばで国道は線路をくぐりますが、遍路道は線路をくぐる手前で国道から分岐します。

f:id:j_imu:20160703124037j:plain

f:id:j_imu:20160703124110j:plain

f:id:j_imu:20160703124159j:plain

分岐した先が山越えだったら困ると思い、このまま国道を行くことにしましたが、後で調べてみるとどうも山越えのルートではなかったようです。
国道沿いを行くお遍路さんもいるようで、道しるべもあります。

f:id:j_imu:20160703125704j:plain


五十崎駅を過ぎたところから道は下り基調になりますが、右側を見るとどうも線路らしきものが。

f:id:j_imu:20160703124356j:plain

こんなところに廃線跡でもあるのだろうかと疑問だったのですが、調べてみてわかりました。
予讃線は伊予大洲を出ると肱川に沿って下っていき、河口にある伊予長浜という町から海沿いを走って伊予市に至ります。
JR内子線は伊予大洲から内子までを結ぶ路線ですが、現在は内子から先が予讃線の別線となっていて、伊予市のお隣向井原駅で予讃線の本線と合流します。
この内子経由のルートは山の中をトンネルでぶち抜く短絡ルートで、宇和島から松山を結ぶ特急「宇和海」はこちらを通ります。
今となっては特急の通り道である内子線は、かつて伊予大洲の次の駅である五郎から内子までを結ぶローカル路線だったそうな。
特急の短絡ルートになることが決まったときに大洲で分岐するようになり、内子近辺も高速化のために経路が変更になったようで、今見えている線路はその旧線の線路のようです。

内子もまた古い町並みの残る観光地なのですが、国道は内子の町の外周を行くような格好になるので、町並みは見られません。
一度来たことがありますが内子座という芝居小屋があったり、なかなか良かった覚えがあります。

f:id:j_imu:20160703125824j:plain

五十崎駅から遍路道に入ると古い街並みを抜けていくことができるようです。
やがて国道379号線との分岐に至り、高知から長いこと付き合ってきた国道56号線とはいよいよここでお別れ。
ちょうど松山まで40kmというキロポストを過ぎた先でした。

f:id:j_imu:20160703125955j:plain

このまま国道を行けばその気になれば今日のうちに松山に着けてしまいますが、私が松山の町中へ至るまではあと2日かかります。
379号に入るとすぐに道の駅内子フレッシュパークからり。
なにか食べられるものがあればと思いましたが野菜の直売だけという状況だったのでトイレだけ借りて379号線をひたすら歩きます。

f:id:j_imu:20160703130106j:plain

横を流れるのは小田川という川。
これまた大変な清流で見ていて飽きません。

f:id:j_imu:20160703131004j:plain

f:id:j_imu:20160703131100j:plain

国道については新しそうなトンネルもあったりして、「同行二人」の地図とはちょっと状況が違っていそうです。
場所によっては土砂崩れのため国道から外れる遍路道が通行止めになっているところもありました。

f:id:j_imu:20160703131240j:plain

f:id:j_imu:20160703131231j:plain

大瀬というあたりは街道の雰囲気を感じる町でしたが、基本的には山の中。

f:id:j_imu:20160703131515j:plain

やがて国道380号線との分岐に至ります。

f:id:j_imu:20160703131657j:plain

379号線はこの先左折して松山方面へ進路を向け、380号線は交差点を直進して久万高原へ至る道。
久万高原町には44,45番の2つの札所があり、位置の関係から44番から45番の間はほぼ往復することになります。
そこで45番を先に打つという行程も組むことができます。
44番の近くに出るルートは2通りあって、下坂場峠と鴇田(ひわた)峠という峠を越えるルート、畑峠(はたのとう)と農祖峠(のうそのとう)という峠越えのルートで、どちらにしても越えなければいけない峠が2つ。
農祖峠経由のほうが一般的?という話を聞いていたのでそうするものだと考えていたのですが、鶴の家旅館で出会ったお遍路さんに鴇田峠経由のほうがいいとしきりにおすすめされました。
ダラダラと緩い登りが続く道だというので、それを信じて行ってみることにします。
もう一つ、山道を避けて車道を経由するのはどうかと思案していましたが、そういう事情があって実現可能かどうかを検討する前に廃案となりました。
また、農祖峠を経由した場合、44番の近くを通らずにまっすぐ45番へ向かうルートも存在するのですが、「同行二人」の地図曰く「落石の恐れあり」とのことであまり使わないほうが良さそうです。
もっとも、大洲出発では上記ルートを使うのは時間的に厳しいですが。
こんな風にルート選択の余地があるというのは実に楽しいもので、結局鴇田峠ルートを行きましたがほかのルートがどんなところなのかという点については興味が尽きません。
さて、鴇田峠ルートではその手前に立ちはだかる下坂場峠へと向かう必要があります。
これは379号を引き続き行った先に入り口があるので、380との分岐を左折していきます。
おなかがすいてきたので、峠の登り口手前にあるらしい休憩所で持ち歩いているパンをかじって昼食かなと思っていたところ、思わぬ救いの手が。

(後編へ続く)