オタクが歩く四国

四国八十八ヶ所歩いた記録です。構築中。

3日目(2/6) 旅館吉野~植村旅館

遍路ころがしへの挑戦の日。
今日もアラームよりだいぶ早く起きました。

今日の朝食は6時から。
夕食が早いということもあってか、朝起きて荷物を詰め終わるころにはおなかがすいています。
歩くためのエネルギーチャージという点では、よいリズムなのかもしれません。

夕飯の際に頼んでおいたおにぎりを持って、6:45ごろ出発。
昨日歩いた道を逆にたどって藤井寺へ。
納経は昨日してあるので本堂で一礼だけして早速登りにかかります。

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昨日も同じような位置で写真を取りましたが昨日よりダメな感じになっているのはこれからの道行きへの不安からでしょうか。

登り口にはこの先にトイレがない旨の看板が。
登り口からいきなりの急坂で、八十八箇所の本尊を掘った石仏の並ぶ中を登っていきます。

傾斜がひと段落すると奥の院ですが、道沿いにひょいっと安置されていてあまり目立ちません。

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やがて「へんろころがし1/6」という看板が現れ、ここからが本番ということなのだと思いますが最初の急坂に比べると階段なのでその分の登りにくさはあるもののそこまで大変な道ではありません。
木々の茂る中を行きますが、眺望が開ける地点も。

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だいぶ上ってきたように見えますがまだまだ始まったばかり。
ビューポイントを過ぎるとひたすら山道です。
やがて前方にお堂が見えてきました。
3.2km地点の長戸庵です。

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時刻は08:08。
嘘か誠か、藤井寺から歩いてきた弘法大師が一息つくのに「ちょうど」いい場所であると言ったことからついた名前だといいます。
しばし休憩。

長戸庵の先にはさらに高度を上げたビューポイントが。
このあたりから尾根伝いに山奥のほうへ向かっていくので眺望はきかなくなります。

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その先に待っているのは急な下りで、「へんろころがし3/6」とあります。
2/6は気づかずスルーしてしまったのか、そもそも看板が消えているのか。

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せっかく登ったのになあと思いながら下りきるとお堂があり、6.4km地点の柳水庵です。

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09:25到着。
距離としてはここでだいたい半分。
もっとも、山道において距離と進度は必ずしも一致しないのであまり安心もできないところです。
お堂の横に一軒家があって昔はここで宿泊することもできたと聞きますが、今は空き家のようです。
柳水庵から少し下るとプレハブのような休憩所がありますが、スズメバチの巣が室内にあるとかで立ち入り禁止になっていました。
休憩所からは登りに切り替わり、へんろころがし4/6の表示も。
ひたすら登りが続く道で大変です。

歩いていて聞こえてくるのは自分の足音と息遣いぐらいのもので、立ち止まると一切無音の空間になります。
この無音が心地よく、この先の山道でこんな静寂を感じることがなかったので印象に残りました。

階段が見えてくるとこの登りもひと段落。
階段の上には弘法大師の像が建っていて、歩いてきた人を迎えてくれます。

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8.8km地点の浄蓮庵で、10:12に着きました。
大師像の背後には杉の巨木が生えており、左右内の一本杉という天然記念物だそうです。
この地点の標高は750mで、今日の道筋としては最高地点ですが、体が温まっていることもあって寒さは感じません。

ここからは左右内の集落に向けて一気に300メートルも標高を落とす道。
山が折り重なった景色は見ごたえがあります。

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集落内は相変わらず本当に通っていいのかと思うようなところを抜け、車道との分岐を過ぎて小川を渡ると最後の「へんろころがし6/6」。

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木の根が階段のようになっているところがあったり、一定の歩幅で歩くことのできない道でしかも長い。
札所までの距離を表す「○丁」(一丁は約109メートル)という石塔が建っていますが、これが一向に減らないように思え、つらさとしてはここが最高潮でした。
30分ほど登り続けたようです。
ベンチがあったので腰を下ろして休憩。
道の先を見るとここまでとは少し道の雰囲気が違っているように見えます。
どうやらそれは当たっていたようで、石垣が見えてきて参道らしい道に入りました。
11:55、十二番札所焼山寺の山門に到着。

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健脚で5時間、並足6時間ということなので健脚のペースではあったようです。
とにかく杖の偉大さを感じた道のりで、つらいはつらいですがもう歩けない、というような状況ではありません。
納経を済ませ、待ちに待ったおひるごはんタイム。
吉野で頼んだおにぎりがもう最高においしかったです。
さすがにちょっと寒かったのと甘いものがほしかったのとで自販機でココアも。

杉の木立が印象的な、登った大変さに見合う素敵な境内でしたが、ここで終わりというわけではなく宿に向かわねばなりません。
次の札所へ向かって3kmほど下ったところが鍋岩という集落で、ここに「なべいわ荘」と「すだち館」という宿があります。
出発のひと月ほど前、予約をしようとなべいわ荘に電話をすると2月いっぱいまで冬季休業とのこと。
それならばとすだち館に連絡するとこちらは呼び出し音はなるもののつながらず。
結局、鍋岩からさらに一山越えたところまで行くことになりました。
ここから宿まで10kmほどあることになります。

焼山寺からの下り道は時折車道と交差するようなところで、登り程にはきつくありません。
難所を越えられたという安心感もあって楽しい道行き。

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そのうち道端にお堂が見えてきます。
杖杉庵(じょうしんあん)というところで、遍路の元祖と言われる衛門三郎という人物の終焉の地です。

家を訪ねてきた托鉢僧に冷たく当たった直後子供を亡くし、その托鉢僧が弘法大師だったということに思い至り会って懺悔をするために四国を歩きはじめ、何周もしていよいよ死んでしまうというところでようやく弘法大師に会えたのだといいます。

 

さらに下っていくと鍋岩の集落。

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ここから道は二通りに分かれます。
一つは遍路道で、玉が峠(たまがたお)という峠を越えるコース。
もう一つは県道に沿って下っていき、神山町の中心へ向かうコース。
峠越えのほうが距離は短いですが、二つ山を登ってきてまた登りという大変さはあります。
県道沿いに行くと神山温泉という温泉地に出るので宿も結構あるようです。

今日の宿は遍路道沿いなので前者のルートを選択せざるを得ません。


集落のはずれの道しるべに従ってこれまた細い道を抜けて山に入ります。

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ここもまた大変な道でした。
どうにか登り切ると車道に出て、この先はゆるゆると延々下り坂。
この道は鮎喰川の谷を見下ろすように伸びていて、素晴らしい眺望です。
ここまで苦労して歩いてきたご褒美のような気がしました。

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途中にあった遍路小屋で休んでいると、近所の方から声をかけられしばしお話。
神山町は戦時中、疎開先になっていたそうで当時は小学校が6校もあったが今は2校があるのみ。
遍路道も集団登下校のコースだったのだそうです。
鍋岩にも学校がありましたが地図には休校中とありました。
そんな話を聞かせていただきすっかり長居してしまいましたが宿に向けて出発。
川沿いのレベルまで下ってきたところで県道20号線と合流、そのすぐ先にあるのが今日の宿である植村旅館。
着く頃には17時近くになっていました。
吉野で同宿だった大阪からのお遍路さんと今日も同宿。

歩いてきた体に豪華な夕飯が最高でした。
明日までは宿を確保していますが、その先は未定で、食後、徳島県を抜けるまでの宿を順番に予約していきます。
焼山寺が越えられなかったらという心配から、宿の確保は明日の分までしかしていませんでした。
幸い満室で取れないということもなく、数日間は宿の心配はいらなさそうです。
夜になると暖房を入れていても部屋は結構な冷え具合で、まだここは山の中なのだと実感しながら眠りにつきました。