オタクが歩く四国

四国八十八ヶ所歩いた記録です。構築中。

2日目(2/5) 安楽寺宿坊~旅館吉野

5:45に目覚ましのアラームを仕掛けていましたが、5:30前に目が覚めてもう寝られませんでした。
すっきりとした目覚め、という感じではなかったのですが。
宿泊客が少ないからか朝食はなく、宿坊の方から昨晩お接待として缶コーヒーと菓子パン2つをいただいており、パン1つをザックに詰め込んで残りを今日の朝食にします。
今日は宿泊地である安楽寺が最初の札所になるため、いずれにしても納経所が開く7時までは身動きできません。
この日から平日はNHKのおはよう日本を見て出発するのが日課になりました。

納経を済ませてお寺の前の県道に出たのが7:40。

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次の札所までは1.2kmと近いですが住宅街を抜けていくので道しるべを見落とさないようにしなければなりません。
途中の熊野神社は立派な回廊を備えていました。

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七番札所十楽寺には7:54着。
ここにも宿坊があって、中はさながらビジネスホテルのようだと聞きます。

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十楽寺を出て道しるべに従って進んでいくと徳島自動車道の向こうに山門が。
八番札所、熊谷寺です。

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9:02の到着ですが、山門から本堂までが長いお寺でした。
境内ではスピーカーから音楽が流れています。
御詠歌というものだったことをあとで知りました。

ご詠歌 - Wikipedia


ゆるーい下り道を進み、田園地帯に出て歩くことしばし、九番札所法輪寺には10:04着。

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納経して、次の札所が山の上であることを考えて長めの休憩をとります。

靴の気密性が高いのか、足の裏がしわしわになっているので靴下も脱いで少し乾かします。
ふやけた足の裏はマメを生みやすいと聞きます。
ただ、こんなことを気にしていたのは最初のほうだけで、いつの間にかしわしわにもならなくなっていましたし、それ以上にマメがまったくできない足になっていました。

県道139号に出て、十番札所への看板に従って右折するとちょっとした門前町の風情。

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これを抜けてまたも徳島自動車道をくぐると十番札所、切幡寺の山門。

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山門についたのが11:21ですが、このお寺はここからが本番。
長い長い石段を登っていきます。
明日待ち構えている難所の前哨戦といったところでしょうか。

境内の多宝塔は重要文化財だそうですが、かなり遠くからでも認識できる大きなものでした。

来た道を引き返して門前町の遍路用品店でローソクと線香のケースを購入。
ここまでの感じでそれぞれを箱から出すのが大変な気がしていたのと、ショルダーバッグの中がカオスになっていたのでそれを少しでも何とかしようと思ってのことでした。

これまで歩いてきた札所間の距離はごく短いですが、ここからはそうもいかなくなってきます。
次の十一番札所までは9.3kmで、吉野川の対岸になりますがその吉野川がまず見えていません。
まずはその吉野川へ向けて歩いていきますが、おなかがすきました。
県道12号線をまたぐところにあったうどん屋八幡で食事とします。
まずまずのお味。
ここに来るまでそこらじゅうで広告を見かけており、旅館も併設しているようです。
後々この旅館にはお世話になります。

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うどん屋の目の前の交差点。

今のところ深い意味はありません。


菜の花が咲いている住宅街を抜けていくと目の前に立ちはだかる堤防。

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これを越えると吉野川ですが、そこを流れる川は意外と小さく、あっという間に橋を渡り切ります。
この橋も特徴的で、水面にかなり近いところにかかっているうえに欄干がありません。

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こういった様式の橋を沈下橋というのですが、この辺りでは「潜水橋」と呼ぶそうです。
沈下橋は川が増水した際には川の中に沈んでしまうことからついた名前で、それだけだと何のメリットもなさそうですが、水面に近いことで橋脚が小型になり、欄干も作らなくてよいことからか架橋にかかるコストが小さいのだといいます。
欄干がないのは増水した際に水流をせき止めるように作用してしまい、結果橋自体が流されることにつながるのを避けるためだそう。
今はゆったりとした流れの吉野川ですが、ここは立派な暴れ川。
実際、この先では水害からの復旧工事を行っているところも見られました。
そんな沈下橋を渡った先には一面の畑。

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実はここは吉野川の対岸ではなく、川の中に浮かぶ島で、善入寺島と呼ばれる日本最大の川中島。
川なのに島というのもすごい話ですが、沈下橋がかけられているように増水すれば孤立してしまうのが明らかで、無人島になっています。
今は大根の収穫シーズンらしく、大根を満載した軽トラが沈下橋を行き交っていました。

島を抜けてもう一本の沈下橋を渡ると吉野川市。

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ですが、堤防に登ってみると肝心の道しるべがありません。
橋はここにしかないので道を間違えたということはなさそうなのですが・・・

地図アプリと同行二人の地図を見比べつつ、遍路道のとおりに行かねばならないということでもないのだと近くの県道122号に出ると、無事遍路道への復帰ポイントを見つけることができました。
農家の立ち並ぶ中を行くと、やがて右手から線路が近づいてきます。

徳島と阿波池田を結ぶ*1JR徳島線のもので、吉野川に沿って走ることから「よしの川ブルーライン」の愛称が付いています。
その先で線路をくぐるとかつての伊予街道である国道192号線を渡り、道しるべに従って昔ながらの風情を感じる住宅街をグネグネと進んでいきます。

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歩くうちに道は登り基調になり、軽く山道のようなところを抜けるとどう見ても人の家の庭先。
通っていいのだろうかと思いながら抜けると十一番札所、藤井寺。
14:51着。

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切幡寺からここまで、吉野川の作り出した谷を歩いてきた格好になります。

納経を済ませてもまだ15:30にもなっていませんが、今日はここで打ち止め。
次の札所までは12.9kmの道のりで、藤井寺の境内、本堂の脇から道が延びているのですが、こんなところ。

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十二番札所は標高700mの山中にあり、藤井寺からの道は見てのとおり登山道です。
「遍路ころがし」と呼ばれる道で、ここからの道中には宿泊施設がありません。
藤井寺から少し下ったところは鴨島という町で宿泊施設にも事欠かないことから、十二番札所に挑む前日は鴨島に宿泊するのがセオリーのようです。
ただ、藤井寺は鴨島の町からは少々離れており、町の中心まで行くと明日戻ってこなければならず大変。
そこで今日の宿は藤井寺に一番近い「旅館 吉野」。
設備は新しくてきれい。
立地の良さもあって人気の遍路宿のようです。
もちろん、立地が良ければそれで人気になるのかといえばそういうことはなく、立地は理想的なのに評判のよくない宿というのも中にはあります。
遍路も情報収集が大事なのだなあと思わされる出来事は数多くありました。
「遍路は修行なのであるから、不満を述べるなど言語道断、屋根の下で寝られるだけありがたいと思え」という人も中にはいるようですが、そこは考え方の違いというものでしょう。
私などは歩くことそれ自体を目的として来ているのであって、御利益を求めているわけでも、ましてや修行でもありません。
いい宿(贅沢な、という意味ではなく)に泊まりたいと思うのは普通のことだと思います。
宿で自転車を借りて町中のスーパーへ。
明日の道行に備えて買出しです。
藤井寺を一歩出ると、札所までの間水分も含め物資の補給ができるところがなく、また、次の札所を出ても商店などがあるのはさらにだいぶ先、基本のルートを行く場合は13番札所の近くまで商店の類はありません。
それに備えて水1リットルとスポーツドリンク500mlを用意し、他にこまごまとしたものを買います。

今日同宿なのは昨日の安楽寺で同宿だった方2名ともうひとり、大阪からというお遍路さん。
朝から全員抜きつ抜かれつでやってきましたが、明日少しでも有利な位置をと思うとやはりここになるのでしょう。

宿の方曰く「世間の遍路ころがしの解説は脅かしすぎ」ということですが、初めての道で、荷物もそれなりに負っている状況での登山は不安です。
今日同宿の方で唯一の経験者である大阪からのお遍路さん曰く「何度来ても一から登るのは一緒」とのことでこれはいい言葉だと思いました。
もうここまで来たら意を決して登るしかありません。

距離だけで言えば20.9kmと今日もたいして歩いておらず、20時にはほかの部屋の方は就寝している様子でしたがそんなに早く眠れるはずもなく。
何時ごろ寝たのかは定かでないですが、2日目も静かに更けていきました。

*1:厳密には阿波池田の一つ手前、佃が路線の終点