オタクが歩く四国

四国八十八ヶ所歩いた記録です。構築中。

26日目(2/29) 長珍屋~東横イン松山一番町

大きな宿ではありますが遍路宿だけあって朝食は早く、7:15過ぎに出発。

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路面が濡れているところを見るとどうも雨が降ったようですが、今は止んでいます。
浄瑠璃寺から次の札所へはわずか0.9km。
これまで札所間は延々歩くものだったところからすると違和感しかない距離です。

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謎のお城を模したブロックを見て進むと7:28、四十七番札所八坂寺に到着。

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境内は猫がたくさんで、徳島の常楽寺がそんなだったなあと思い出し、遠くへ来たものだと感じます。
ため池に沿う道には四国で二番目に古いという遍路の道しるべとなる石柱。

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別格九番札所文殊院の前を過ぎ、道は住宅街になります。
一車線のわりに車通りが多く、結構おっかないところでした。

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県道40号に入ると重信川を渡り、松山自動車道の下をくぐります。

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通勤時間帯ということもあって、車通りが多いです。
8:48、四十八番札所、西林寺に到着。

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次の札所へは県道を信号のないところで渡らなければならず、そして交通量が多くてちょっと危ないです。
この先もグネグネと曲がる道で、道しるべを見落とさないように歩く必要があります。
来住町(きしまち)という交差点で、国道11号線と交差。
初めて出てきた道ですが、松山駅近くで長いこと一緒だった国道56号に接し、さらに昨日久万高原からの脱出路となった国道33号線とも交差する道で、高松を経由して徳島まで伸びている国道です。
これから先多くの区間で出会い、歩くことになる道ですが、本格的な登場はまだ先で、ここでは交差するのみ。
その先、今度は踏切を渡ります。

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伊予鉄道横河原線のもので、路面電車の規格であった高知のとさでん交通を除けば、四国を歩き始めて初めて出会う電化路線。
9:56、四十九番札所浄土寺に到着しました。

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お寺の前の道は細いですが、境内は広々としていました。
この辺りまで来ると松山近郊といった風情の場所で人も車もこれまでとは比較にならないぐらい多いです。
そんな中生活道路を抜けていくのが遍路道なので、交通量が多く注意が必要な道でもあります。
ここからは高台に上って歩きますが、途中でぽこんと突き出た山の上に立つ松山城の姿が。

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とうとう松山までやってきたという実感が得られました。
これからあのふもとまで行くのだと思うと何とも言えない気持ちになります。
10:39、五十番札所繁多寺(はんたじ)到着。

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県道40号にいつしか合流して歩いていくと、徐々に高層マンションなども目に入ってきます。
そんな建物も久しく見ていないことに気付き、ここまでの道のりが思い出されます。

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まだまだ先は長いというのに終わりのような感想ですが、私にとっては松山というところが一つの区切りではあったようです。
五十一番札所石手寺には11:36到着。

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ここ石手寺は4日目に触れた衛門三郎ゆかりの場所です。
弘法大師と知らず托鉢僧に冷たく当たった結果子供を亡くし、懺悔のために弘法大師の姿を求めて四国を回るようになり、死の直前、焼山寺の麓でようやく弘法大師に出会え、弘法大師がその亡骸に石を握らせたというのが杖杉庵の伝説。
その後、伊予の豪族の家に生まれた子供、左手が開きませんでした。
ここ石手寺で加持祈祷を受けた結果左手が開くようになり、その手には衛門三郎が死んだときに握っていた石があったのだといいます。
そんな伝説の残るお寺で、道後温泉という観光地のすぐそばということもあって観光地としてのお寺の雰囲気満点。
こちらのほうがなじみのある空気ではあるのですが、あまり良い出来事のあるお寺ではありませんでした。
今となっては88もあればそういうお寺もあるでしょうぐらいのものですが、当時はそれはもうひどい気分でした。
今日はここで終わりで用事がてら半日休息としていましたが、100%晴れ晴れとした気持ちになれなかったのは残念。
札所を出ると道後温泉はすぐそば。

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ここ数日のニュースで、道後温泉本館の耐震工事のための休業問題が取りざたされていて、せっかくなら入っていこうと思っていたのですが、上層階の休憩付きはなんと満席(?)だといいます。
前にも入っているし荷物が多いので下の階で入るのもなあと、外観だけ眺めて終わりにしました。
今日の宿は松山一の繁華街、大街道の近く。
道後温泉からは路面電車も出ていますが、ここは歩きで。

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間に数駅ありますが路面電車なので駅間が短く、さほど遠い印象はありません。
松山はちょうど去年の春観光で来ていて、はっきりと記憶のある景色の中を遍路として歩くという感慨を満喫します。
チェックインの時間には早いですが宿で荷物だけ預かってもらい、松山の街中へ。
途中なんと雪が降ったりしましたが、本当に久しぶりに感じる街の空気を存分に吸いました。
用事*1も無事済ますことができ、早い時間ではありますが宿に入り体を休めます。
もっとひどい状態で松山入りするかと思いきや、愛媛県に入ってからの結構なハードスケジュールな割に意外と体は大丈夫でした。
長い歩きで体ができてきたのかもしれません。

*1:27日を過ぎていた、ということでお察しいただける向きもあるやもしれません