オタクが歩く四国

四国八十八ヶ所歩いた記録です。構築中。

35日目(3/9) 東横イン高松中新町~ながお路(前編)

40km以上、山歩き、札所6つという過酷な条件の一日を無事突破し、これできついのはもう終わりというつもりだったのですが。
目が覚めたのは3:30。
もうずっと5時台、下手をすると4時台に起床する生活を送ってきていて、始めの頃こそ思うように寝られないことに苦しみもありましたが今では「休んだから早く歩きたい」という体の信号だと解釈することにしています。
行程に対する緊張もあったのだと思いますが。
そういう事情を含めてもこの時間はいくら何でもやり過ぎです。
ネット環境があるのが幸いして、どうにかやり過ごしやがて朝。
初日の誓いを果たしに、さか枝へ向かいます。

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高松の東横インは2つ*1ありましたが、移動日に泊まった兵庫町よりこちらのほうが近いようです。

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高知のつらい日々も今日ここでうどんを食べるために耐えられた、というところは確実にあって、お腹もいっぱい、胸もいっぱいという心境。
うどんをうっかり大(3玉)にしてしまって正直食べ過ぎましたが後のことを考えると結果オーライではあったかもしれません。
宿に戻って旅装を整え、7:30ごろ出発。

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うどんを食べて宿に戻る頃から雨がポツポツ来ていましたがいよいよ本格的に降っています。
今日の予報は雨。
平日朝の高松は、起伏の少ない地形と相まってか自転車の交通量がやたらと多いのですが、流石に雨だとそうも行かないようです。
街中での遍路装備は浮いている感が否めませんが、奇異の目を向けられる、というほどではないのはそういうお土地柄故でしょうか。
しばらくは国道11号線を歩いていきます。
やがて現れる踏切はことでんこと高松琴平電気鉄道のもの。

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高松を中心に3つの路線を持っており、この近くの瓦町駅が3路線の分岐駅になっています。
JRの高松駅に近い高松築港から瓦町までの区間は、琴平線と長尾線の列車が走っており、その分本数が多いためこの区間だけは複線です。
その先にある単線の踏切は志度線のもの。

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志度線は瓦町からこれから向かう志度を結ぶ路線ですが、瓦町駅のホームは他の路線と完全に独立しており、線路自体がつながっていません。
その志度線、松島二丁目の辺りでは国道と並走。

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雨なのはどうしようもないとして、寝られていないのと昨日の歩きとで体はだいぶしんどいところ。
この先山登りが待っていることを踏まえ、道中のコンビニで栄養ドリンクを買い、ドーピングを図ることに。
横峰寺に登った時もそうでしたが栄養ドリンクというやつは歩くに際しては効果てきめんで、なるほど本来は体の方に作用するものなのだと実感させられます。
やがて標識にはフェリーの文字が。

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神戸から高松を結ぶジャンボフェリーの乗り場が近いようです。
このフェリー、わずか2000円で乗船でき、雑魚寝ですが横になることも可能、夜行便ありととても使い勝手の良い交通機関で、幾度お世話になったかわかりません。
その先春日川駅を過ぎると春日川を渡ります。

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以前、神戸行きのジャンボフェリーに乗る前に風呂に入っておこうとここ春日川駅近くのスーパー銭湯に行ったことがありました。
その時に見た景色と一致していて、なるほどこうつながっているのかと、頭のなかの地図が更新された瞬間でした。
この感覚は何度味わっても良いものです。
やがて前方左手には台形をした山が見えてきます。

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これが屋島で、目指す84番札所はあの山の上なのですが雲がかかっていて心配。
屋島ロイヤルホテルの前で国道から一旦お別れ。
ことでんの線路を渡り、住宅の並ぶ中を行くと勾配がつき始めます。

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やがて住宅も途切れ完全に山道。

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加持水や喰わずの梨という霊跡を横に見つつ、急な舗装路を登って行くと、徐々に視界不良に。
下から見た時に雲のかかっていた高度に到達したようです。

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晴れていれば眺めの良さそうなところだけに残念。
登り切ると八十四番札所屋島寺で、9:33の到着。

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完全に霧がかかっていて、これはこれで幻想的ですが遠くが全く見えません。
今登ってきた道の反対側は瀬戸内海で、源平合戦の一つである屋島の戦いの地でもあります。
景色もいいそうなのですがこれでは全くどうしようもなく、淡々とお参りをし、納経所へ。
次の札所に向けての屋島からの下山ルートは2つあるのですが、納経所の方からこの天気では来た道を引き返したほうがよいと言われ、そうすることにしました。
もう一つのルートは距離は短くなるのですが、土の道の急坂を行くらしく、この降りようでは厳しいのでしょう。
登ってきたルートは濡れた舗装路で、これはこれですり減ってきた靴底では少々滑って恐くはあります。

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溜池のあるあたりまで降りてきて、そこから屋島の麓をぐるりとまわるような道。
道標が出てきたところで橋を渡り、旧牟礼町に入ります。

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次の札所も五剣山という山の上で、この山で採掘される庵治石という花崗岩が名産物のようです。
町中なのでクネクネと曲がり角の多い道。
やがて目の前に山田家といううどん屋が出てきます。

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ここも美味しいと聞きますし混んでなさそうだったので興味は湧いたのですが朝のうどん3玉プラスアルファが効いているのと朝から雨に降られっぱなしでひどい状態のため店に入れる体ではありません。
駐車場とはいえ店の敷地を横切るという面白いところでした。
山田家を過ぎると道が急になってきます。

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やがて鳥居が見えてくると85番への登り口。

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(後編へ続く)

*1:2016年6月で高松中新町は閉店